唯一とされる『震災当日の医療現場の映像』指揮した外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら、次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間
・阪神・淡路大震災が発生した28年前の1月17日に、兵庫・淡路島の病院で撮影されたビデオ。震災当日の医療現場を撮影した唯一とされる映像には、混乱する医療現場で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿が映し出されていた。
県立淡路病院で撮影された阪神・淡路大震災『当日の映像』
(栗栖茂医師)
「これが私が撮ったオリジナルのフルカセットのテープです。(Q撮影した時のことは覚えていますか?)非常に新鮮に、というか鮮烈に覚えていますね」
・当時の県立淡路病院で外科医として勤務していた栗栖茂さん。普段から手術や治療を記録用に撮影していたという。あの日も何気なくカメラを回し始めた。
・震災当日の午前9時前、なだれこむように傷病者を運び入れる医師や看護師たち。震災で北部を中心に大きな被害が出た淡路島で、唯一の救命救急病院だった県立淡路病院には、地震発生から2時間ほどが経ったころから次々と患者が運ばれてきた。
「ストレッチャーもう2台!」
「チューブちょうだい!」
「はさみ貸して!」
「モスキートとティッシュくれる?」
・あちこちでCPR=心肺蘇生法が実施されていく。
「もう1人、挿管!」
「建物の下敷きになっていてね…」
「名前は?名前分かる?」
・県立淡路病院がこの日に対応した傷病者は少なくとも70人。緊急手術も実施された。
・当時3年目の内科医で、その日は当直明けだった水谷和郎さん。現在は神戸市の六甲アイランドにある六甲アイランド甲南病院で循環器内科部長として勤務している。情報が入らず混乱した現場の光景が今も脳裏から離れない。
(水谷和郎医師)
「何が起きているのか、本当にそれこそテレビで神戸の被害が映っているだけで、淡路の中で本当に何が起きているのかが全くわからない状況で。救急隊の方から連絡をもらって、その情報を中に入れるような感じ」
現場を指揮した外科部長の冷静な『トリアージ=命の選択』
・搬送が続き、現場は野戦病院のような様相を呈していた。医師や看護師の誰もが未経験の状況。そんな時に1人の医師の声が響いた。
(松田昌三医師)
「やることやって、あかんかったらね、次の人を助けなあかん」
「あのね、今のお話やったら、心臓が止まって呼吸が止まって20分経っていますから、この方の蘇生はもう困難です。もうやめ。次の人に行かなあかん。やめ」
・現場の指揮をとっていた当時・外科部長だった松田昌三さんが、蘇生を中止するよう命じた。
(松田昌三医師)「とにかくね、助けられる人を助けないかん。もう助からない人は諦めな。この人もう何分ぐらいかわかる?」
(現場で対応する人)「9時に現場到着してから、ここまで15分程度のCPR(心肺蘇生)を実施して」
(松田昌三医師)「やめなさい。ストップ。次の人にかかろう」
・緊急度や重症度に応じて治療の優先順位を決める『トリアージ』。当時まだ社会にほとんど浸透していなかった概念だった。
(略)
トリアージ
トリアージは、多くの傷病者らが居る状況において、傷病の緊急度や重症度に応じた優先度を決めること。中国や台湾など漢字圏では、検傷分類と言われる。 救急事故現場において、患者の治療順位、救急搬送の順位、搬送先施設の決定などにおいて用いられる。
・これからもトリアージをしなくてはならない場面があるだろう。自分の妻子が助からないと判断された時に素直に受け入れられるだろうか? きっともっと心臓マッサージやってくれ、処置してくれって懇願するかもしれない。 頭では理解しても、その場では諦めきれないと思う。そんな人は多くいるはず。 私が心配なのは、それでも諦めなければならない医師が、その時に逆恨みをされないかという事です。 変に訴訟だとか、傷害といった事に発展しないように、辛い決断をせねばならない医師を、より強固な制度や法律でしっかり守って欲しいと思う。
・選択をされた遺族も苦しいものがあっただろうが、選択した側はまた違う苦しみがあったと思う。助けられる命を救うためだとしても、もし諦めた人が平時に同じ状態で運ばれてきたとして、その人1人に対応できれば助かる可能性があったかもしれないと考えれば胸中言葉に表し難いものだと思います。しかし、苦渋の決断をしたことで救われた命も必ずあったはずです。 トリアージに関しては感情論が入れば収拾がつかなくなる。使わないに越したことはないが、いつ必要になるかなんてわからない。平時のうちから緊急時に1人でも多くの命を救えるよう制度や法をきちんと整えてほしいと思う。
・ドラマ「コード・ブルー」など救急救命系の医療ドラマでトリアージはしばしば登場するので、言葉として、考え方としては多少理解できているつもりだけど。自分の家族が優先されない側になってしまうのを目の当たりにしたら辛いし、受け入れろと言われても納得できない人が多いだろう。
・命を優先順位で、黒と診断されたら家族はきっと諦めたくないし、私だって医師に助けて下さいと懇願すると思います。しかしながら、医師だって勇気がいる選択であって、判断は本当に正解だったかを振り返ることになると思います。
・トリアージの辛さは現場にいるものにしかわからないと思う。それこそ命の選択で、自分の判断と選択により蘇生を諦めるということになるのだから。でも多くの命を救わなければならない時に、どう選択し判断するかによって多くの命を救えるかどうかという瀬戸際になってくる。本当に苦しく悲しい判断でもある。