故・三遊亭円楽さんの弟子・楽㐂が廃業を発表 師匠の死受け「円楽の弟子のまま終わらせてください」
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故・三遊亭円楽さんの弟子・楽㐂が廃業を発表 師匠の死受け「円楽の弟子のまま終わらせてください」

記事によると…

昨年9月に肺がんのため死去した落語家・六代目三遊亭円楽さんの弟子で、二ツ目の三遊亭楽㐂(さんゆうていらっきー)が1日、自身のツイッターを更新し、落語家を廃業することを発表した。

楽㐂は「廃業のお知らせ」として文書を投稿。理由として「僕は落語が好きで落語家になったわけではなく、円楽が好きで円楽の弟子になりました。優しい一門会でしたので、他のお師匠様の所へ行けば落語家で居させていただけたとは思いますが、円楽の弟子ではなくなります。真打ちまで頑張るのが親孝行だと思いますが、頂いた楽㐂という名前を変え、別門下の弟子を名乗る事は僕には出来ませんでした」と、円楽さんへの深い敬意と愛情をつづった。  

・さらに、約10年前、円楽さんに会いたい一心で麻布十番のバーでアルバイトをし、念願叶って弟子入りにこぎつけたことなども述懐。「師匠、おかみさん、感謝しかありません。本当にありがとうございました」と謝意を示した。  

・ファンに向けては「本当に申し訳ありませんが、円楽の弟子のまま終わらせてください。世界で一番大好きな人の弟子のまま終わらせて下さい」と思いを吐露。今後は実家の工務店で一から修業することも明かした。  

・楽㐂はアップフロントエージェンシーの所属などを経て、2012年4月に円楽門下に入門。16年6月に二ツ目に昇進していた。

1月2日 故・三遊亭円楽さんの弟子・楽㐂が廃業を発表 師匠の死受け「円楽の弟子のまま終わらせてください」 - Yahoo!ニュース

三遊亭円楽

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六代目 三遊亭 円楽(さんゆうてい えんらく、1950年昭和25年)2月8日 - 2022年令和4年)9月30日)は、日本の落語家俳優。1970年の入門から2010年2月までは三遊亭 楽太郎(さんゆうてい らくたろう)を名乗っていた。

ネット上のコメント

とても人情ある記事で涙が出そうになりました。人に惚れ入った世界、その方がいなくなったのは大きいですよね。続けるべきだという人もいるかもしれませんが、このお弟子さんの気持ちは天晴れだと私は思います。それほどまでに師匠を深く深く慕っていたのだと思います。仕事もそうだと思います。会社のためになんて思いながら仕事をする人は今の時代稀かもしれません。上司のために、仲間のためにだったら頑張れる事もあると思います。やっぱり人は愛する人の為に動けるんだと思います。着地点がだいぶズレたけど。

「他のお師匠様の所へ行けば落語家で居させていただけたとは思いますが、円楽の弟子ではなくなります。真打ちまで頑張るのが親孝行だと思いますが、頂いた楽㐂という名前を変え、別門下の弟子を名乗る事は僕には出来ませんでした」 本当に師匠思いでなければこうはならないだろう。落語家としての活躍を見ることができないのは残念だが本人の意志が尊重されるべきだし彼の第二の人生が良いものになって欲しい

落語を続けていく上でこのままでは円楽の弟子と呼ばれなくなる、それを忘れられてしまうということがこの上なく耐えられなかったんだろうなぁ。 それほどに、師匠の事を想っていたとは。

男が男に惚れるとはこのことだろう。 円楽師匠をこよなく愛し念願叶って弟子になったとのこと。弟子入りまでの道のりも大変だったでしょう。それ程の想いまでして弟子入りを志願し真打ち目指して精進されていたことと思います。突然尊敬する師匠が居なくなり目標を失ってしまったんですね。まさに円楽ロス喪失感でいっぱいだったんでしょう。 何事も始めることより辞めることの方が難しい、この決断も勇気がいることだったと思う。これから家業のお手伝いで一からスタートされるとのこと。全く違う道になりますが頑張っていただきたい。

楽㐂さんにそれ程の愛があった事は素晴らしいけど、でも悲しくもあり… しかしまあ、12/30に放送された円楽師匠のラジオ追悼特番・2番組を拝聴しました。 どちらも楽しく聴いていましたが、圓生・圓楽の名跡を継ぐ事の大事さにグッと来ました。 それと同時に楽太郎の名を欲しい者が居たら継がせるとも。 そうなる存在が今後現れる事を願います。


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