「迷惑なんだよね。あなた方が…」電話口で突然の豹変後、遺体で発見…“ライブドア事件”のナゾに満ちた裏側
・ここでは、日本経済新聞編集委員の杉本貴司さんが、ネット革命時代を歩んだ人々の「知られざる」ドラマを紐解いた『 ネット興亡記: ②敗れざる者たち 』(日経ビジネス人文庫)より一部を抜粋。粉飾決算の責任を責任を問われ逮捕される直前の堀江氏の行動とは――。
破滅の足音
・年が明けた2006年。堀江は盟友の藤田晋を誘ってラスベガスに旅行に向かった。ともにインターネット産業の黎明期からここまで駆け抜けてきた二人だが、プライベートで一緒に旅行するのは、これが初めてだったという。 ラスベガスと言えばカジノの街である。カジノの街というより、街のような巨大なカジノが、いくつも連なっていると言った方が正確かもしれない。もともとは砂漠の中にある小さなオアシスだったが19世紀中ごろにゴールドラッシュに沸く西海岸に向かう中継地点として人が増え始めた。1929年にニューヨークでの株価暴落に端を発する世界恐慌が起きると、手っ取り早く金を稼ぎたい者が増えて賭博が合法化されたという。
・堀江と藤田も当然のようにカジノに向かった。どのカジノにもあるのがブラックジャックのテーブルだ。マジシャンのような慣れた手つきでディーラーがカードを配り、プラスチック製のコインを奪い合う。
・テーブルに並んだ堀江と藤田。しばらくすると藤田は堀江の異変に気づいた。このシーンは著書『起業家』で次のように描いている。一部を省略して引用する。 〈 熱くならないよう堅実に賭けている私の隣で、堀江さんは時間を惜しむかのように私の何倍かの額を一気に賭けていました。
・驚いて振り向いた私の顔を見て、 「リスクを取らないとリターンはないんだよ」 そう堀江さんが言っていたのが印象的でした。 (堀江さん、賭け方が変わったな)
・以前の堀江さんは臆病なタイプでした。その性格は企業経営や買収にも表れていたのですが、賭け方がすっかり荒っぽくなっているのに驚きました。〉
・改めてこのシーンのことを藤田に聞いてみると、実は違和感は、もう少し前から感じていたという。特に気になったのがフジテレビ買収のためにMSCBで調達した800億円だったと言う。 「堀江さんはもともと、すごく臆病で手堅く慎重な人だった。年間の売上高を大きく超えるような調達をやるような人ではなかった」
堀江 貴文
堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年(昭和47年)10月29日 - )は、日本の実業家・著作家(書籍・動画)・投資家・タレント。
血液型はA型。愛称はホリエモンだが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際には、たかぽんを自称している。sns media&consulting株式会社ファウンダー、インターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー、ゼロ高等学院主宰、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員、Jリーグアドバイザー、大阪府の特別顧問(国際博覧会(万博)担当)である。元ライブドア代表取締役社長CEOである。ライブドア事件(後述)を起こしている。