宮崎知事選は激戦 投げ出し批判、東国原氏がアピール力で猛追
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宮崎知事選は激戦 投げ出し批判、東国原氏がアピール力で猛追

記事によると…

任期満了に伴う宮崎県知事選は25日午後8時から開票が始まり、前職で元衆院議員、東国原英夫氏(65)と現職の河野俊嗣氏(58)=公明推薦、社民支持=による激戦となった。選挙戦序盤は、主要政党や多くの業界団体が支援する河野氏にリードを許した東国原氏だが、知名度と持ち前のアピール力で追い上げた。

・政治や行政の経験はゼロの東国原氏が「そのまんま東」の芸名で出馬し、初当選したのは2007年。官製談合事件に絡み、当時の知事が辞職したことに伴う出直し選挙だった。政治不信が渦巻き、宮崎のイメージダウンも指摘される中で現れたのが、同県都城市出身の東国原氏だった。  

・特定の政党や団体の支援を受けない「草の根型」の選挙戦では、危機感たっぷりに「どげんかせんといかん(なんとかしないといけない)」と宮崎弁で主張。勝手連的に支援する市民も登場するなど大きなうねりを呼んだ。当選後は高い知名度を生かし、マンゴーや宮崎牛などのトップセールスも推進した。自身が執務する県庁は年間数十万人が殺到する観光名所になるほどブームが起きた。  

・しかし東国原氏は任期満了が近付く10年9月、1期での退任を表明する。その年に県内で発生した家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」に関する国との対応などを巡り「知事の限界を感じた」と理由を説明した。任期中から国政などへの転身話が尽きなかった知事の退任は「投げ出しだ」と批判を浴びた。  

・当時の副知事だった河野氏が後任として畜産業の復興などにあたる中で、東国原氏は11年の東京都知事選に出馬し落選。12年衆院選では日本維新の会(当時)の候補として比例近畿ブロックで当選したが1年後に離党・辞職した。テレビコメンテーターなどを経て、再び目指したのが古里の知事だった。  

・飲食店や観光業の経営者からは「知事時代のアピール力を新型コロナウイルス禍で苦しむ経済下で再び発揮してほしい」との期待が一定聞かれた。ただ、有権者には「当選してもまた投げ出すのでは」「戻ってきて何がしたいのか」との声は根強く、選挙戦は自民県連などの支援を受けた河野氏のリードが伝えられた。  

・劣勢を挽回するため、東国原氏陣営は選挙カーに「今度はやめん」の文字を入れた。街頭演説では1期で辞めたことにあえて触れ、頭を下げる場面も増やした。有権者の批判や疑問に向き合い不信を払拭(ふっしょく)する狙いだ。おわびの動画を投稿するなどSNS(ネット交流サービス)の情報発信も強化し、徐々に盛り返していった。  

・「当選しても、また投げ出すのではないか」。そんなムードが薄れてきたとの手応えをつかむと、訴えを政策中心に切り替え、「宮崎の風景をもう一度変えよう」と現県政の転換を訴えた。異例の構図で注目を集めたクリスマスの選挙は、25日深夜に大勢が判明する見通しだ。【一宮俊介、塩月由香】

12月25日 https://news.yahoo.co.jp/articles/b2d83287dc8ebab257b3f753516473b268de9957

宮崎県


宮崎県は九州にあり、ビーチや海辺のドライブで知られています。海水浴で人気がある青島海水浴場は、弥生橋によって小さな青島と結ばれており、青島を取り巻く波状の岩は「鬼の洗濯板」と呼ばれています。太平洋岸の有名なサーフスポットには、日向、木崎浜、白浜などがあります

ネット上のコメント

目に見える実績を求めるならば、間違いなく東国原氏でしょう。 確かに当時は投げ出し感はありましたが、一方で長々と長期政権をすればいいというものではありません。 逆に長々と権力者の座にいることのデメリットの方がはるかに大きいと考えます、仕事をしなくなるのです。 それよりも短期間で成果を上げられる方がむしろ評価をされるべきです、民間はこの考えで人事されますよ。

2年間住んでたが、同じ仕事で月給が15万円ほど低かった。仕事も宮崎県のやり方から少しでもはずれると認めないという風潮には辟易した。特に行政関係の文書。隣県から離れてて、他県を意識することが少なく、進歩していきにくい土壌があるように感じた。気候は掛け値なしに良かったので、何より都会から移住しても暮らしていけるような環境を作ってください。もっと大手が進出して都会の人が流入すれば変わらざるを経ないし、それが宮崎にとって良い変化になると常々思ってました。宮崎市内だけでも、願わくばもう10万人くらい人口が増えてほしい。

どうなのかな、地方再生を目指すのと過去の実績との択一と思います。 どうしても今の安定を考える人と、何か変わると自分らに不利益が及 ぼすと考える人がいて、高齢者の方は保守的に考えるほうが多いと思 います。

母の出身地が宮崎県日之影町です。東国原さんが知事のときはよくテレビで宮崎の特産物をアピールしてくれたおかげで、肉牛農家の祖父母の家は少し経済的に潤いました。宮崎県は農業が盛んですが、積極的にアピールしないと東京や大阪の大きなマーケットに注目してもらえず、結局安値で買いたたかれてしまうので、東さんがしてくれた広報は本当に嬉しかったです。今でも宮崎のマンゴーが残っているのは東さんのおかげではないでしょうか?現職知事の方は一体宮崎のために何をしてくださったのか…従兄弟や親戚たちがたくさん宮崎に住んでいますが、農村地域は過疎化がすごく、税金もまともに払えない人がたくさんいてお先真っ暗と役場勤務の従兄弟が嘆いていました。どうにか少しでも人口を増やして経済を活性化する政策を考えてくれる人が知事になってほしいです。

東国原氏はいい意味でタレントの力を利用して宮崎の知名度を上げPRしてきたのは間違いない。だから事前予想より健闘しているのだろう。都市部の票がどちらに転ぶか。ここまでで現職に当確が出ていないということは都市部で東国原氏がリードしている可能性が高いということだろう。


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