
小柳ルミ子さんが明かす「コロナ禍で引退も考えた」神のお告げとポジティブな生き方

・いつも元気ではつらつとしている歌手で女優の小柳ルミ子さん(70才)。そんな小柳さんも、コロナ禍でテレビの仕事が激減したときは落ち込んだという。それ以前にも嫌なこと、悔しいこと、つらいことは山のようにあったと話す。その苦難に小柳さんはどう乗り越えてきたのか、お話を伺った。
【写真】小柳ルミ子が警鐘を鳴らす「歯ぐきの痛みは絶対にがまんしてはダメ」
◆コロナ禍で仕事が激減し引退を決意
・17才で宝塚音楽学校を首席で卒業し、NHK連続テレビ小説『虹』(1970年)で女優デビューした小柳ルミ子。翌年には、『わたしの城下町』で念願の歌手デビューを果たし、同曲は160万枚超の大ヒットを記録した。
・以来、歌謡界や映画、テレビにおいて最前線で活躍し続けてきた。最近ではブログで日常を綴り、日々を謳歌しているように見える。そんな小柳でも、落ち込むことはあるという。
「コロナ禍でテレビの仕事が激減したときは落ち込みました。私だけでなく多くのかたの仕事が減りましたが、でもテレビを見れば、出ている人は出続けているんです。ということは、客観的に見て私にもう力がないのかな…と。歌も踊りも演技も皆さんに必要とされていないなら、ここが潮時。引退しようと、決意しました」(小柳・以下同)
・その考えを翻すきっかけになったのが、自身のブログに書き込まれた、ファンからのメッセージだった。
◆桑田佳祐さんにコラムで絶賛されて
「ロックバンド『サザンオールスターズ』の桑田佳祐さんが週刊誌のコラムで、私のことを絶賛していると教えてくれたんです。すぐに掲載誌を買いに行き、コラムを一読。あの大スターの桑田さんが、歌も踊りもそのほかのことも、ここまで私のことを分析して評価してくださるなんて…。涙が止まりませんでした。そのことが大きな励みになり、もう少しこの世界でがんばることにしたんです。私は歌うのが好きだから。ボイストレーニングも再開しました。
・いま思えば、桑田さんのコラムは、神様のお告げだったのかもしれません。 “ルミ子、おまえはこんなことでやめるために3才から歌手を目指して過酷な訓練にも歯を食いしばってきたのか? いくつもの荒波を越えてきたのか? そうじゃないだろ” と――」
◆仕事の空白期間は芸を磨く充電期間に
・振り返ればこれまで、ヒットを飛ばす裏で自分の思い通りにいかないこと、嫌なこと、悔しいこと、つらいことは山のようにあったという。
「それでもデビューして50年以上、大きな問題や障害が起きても逃げずに立ち向かい、自分の力で乗り越えてきました。それを思い出しました」
・と、小柳は力強く話す。そして、仕事の幅を広げる転機となった料理バラエティー番組『セイシュンの食卓』(テレビ朝日系・1992~1994年)での経験を振り返る。
「実はコロナ禍以前にも、テレビに出られない時期が2年ほどありました。そんなとき、『セイシュンの食卓』という番組で料理をするお仕事をいただきました。そのとき、自らこう提案したんです。“料理をただ作るだけではつまらないから、踊りながら料理をするっていうのはどう?”と。
・ところが、いざやってみると料理の工程を考えながら振り付けをして、かつその料理や振り付けに合う衣装を毎回揃えるのは想像以上に大変。でもその甲斐あって、このコーナーは大好評。仕事の幅も広がりました」
・実は当時、小柳はテレビに出られない期間を充電期間としてバレエやタップダンスのレッスン、ボイストレーニングに励んでいた。その経験を番組で生かせたのだ。
「このコロナ禍でも、当時の充電期間を思い出して、立ち直れました。これまで仕事で結果を出してきた経験が、確実に私の自信になっているんだと思いますね。結局、仕事で結果を出すのは、自分自身。自分の人生を幸せにするか不幸にするかも、自分自身なんですよね」
・落ち込んで自信をなくしたときは、過去の成功体験を思い出すのが、上機嫌を取り戻すひとつの方法のようだ。
◆小柳ルミ子さんが実践する生き方
・人生、よくも悪くも、人に与えたことが、そのまま自分に返ってくることが多い。どうせなら、ポジティブな気持ちを与えて、返ってくる人生がいい。小柳は、そんな生き方を実践している。
「昨年末、仕事でご一緒した後輩がネガティブなことをこぼしていたんです。そこで食事に誘ったら、一緒にいるだけで顔がだんだん晴れやかになってきて、後日、“すごく元気になりました。エネルギーをもらいました”と、メッセージをくれたんです。食事の最中も楽しかったのですが、その文面を見てさらに朗らかになりました。目の前の人が喜んでくれたり、充実感を味わってくれたら、それが私の喜びになるんだと、実感しましたね」
・最近では、ブログやSNSのコメント欄を通じて、若いファンとも交流が深まり、それを楽しむことも増えてきたと顔をほころばせる。
「何才になっても、新しいことを始めるのはいい刺激になりますし、いい“気”を引き寄せますね。ブログでファンのかたと交流できたおかげで、冒頭の桑田さんのコラムも教えていただけたわけですから。スマートフォンは最新機種が出たらすぐに機種変更するんですよ。“ブログやインスタグラムに使う写真をよりきれいに撮れるんじゃないかしら”と考えたら楽しくて」
・そういった考え方も、落ち込んだ気分に振り回されず上機嫌でいられるひとつの方法なのだろう。
教えてくれた人
小柳ルミ子さん/歌手・女優
リリースしたシングルは57作品、『NHK紅白歌合戦』の出場回数は18回を誇る。公式ブログ『小柳ルミ子オフィシャルブログ』も人気。
取材・文/桜田容子
※女性セブン2023年2月23日号
小柳ルミ子
小柳 ルミ子は、日本の歌手、俳優である。別名でrumicoとも称する。福岡市早良区で生まれる。母親は秋田県五城目町出身である。血液型はA型。愛称はルミちゃん、ルミルミなど。プラチナムプロダクション所属。
ネット上のコメント
・天才は天才を知る。 この一言だろう。 桑田佳祐は天からもらった才がある。 だからこそ、歌が上手いだけでない人が分かると思う。 多分、一般人より強く思うのではないか。
・小柳ルミ子さんのほうが桑田佳祐さんよりキャリアのある方なのに、「あの大スターの桑田さんが」と素直に言えるところに、この方の人間性の素晴らしさを感じます。 今もおキレイだけど、お若い頃は本当に妖艶でスタイルもよくて、歌もダンスもお上手で、何でも出来る方という印象でした。
・ルミ子さんは本来は上品な宝塚スターであり、昭和歌謡の代表的歌手。それが男性遍歴もあり、一途であったがゆえにマスコミの餌食に。元々は、気品と優美さと溢れる色気も兼ねる女性。最近は、桑田佳祐さんの推しもあり、本来の天真爛漫の小柳ルミ子さんになってきたと思う。事務所は、所属スターの扱い方を考えて下さいね。
・さすが宝塚出身。色々な事があり過ぎる でしょうが、非常に魅力的で素敵な歳の 重ね方で無理がないのが素晴らしい
・デビューからずっと清純派な感じでしたが、結婚を機にガラッと変わられた気がします。 そして離婚後の慰謝料で話題になり、一人悪者みたいな扱いをされましたよね。 一時期はテレビにも全く出られない日々がありましたが、最愛のお母さまを亡くされ、またこうして話題にのぼってる事はすごいと思います。
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